朗読教室・司会・ナレーション・話し方レッスン・マナーレッスン、松坂貴久子

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松坂貴久子公式ブログ ~人生100年きらめき術~

輝く女性になるために。日常の出来事から、各講座の様子まで

次男が通っていた幼稚園は、母達の自主運営だった。 市から補助金を受けながらの「幼児教室」という位置づけ。 子供の伸びる力を信じ、型にはめず 自分で考えさせる。 どろんこ遊び 薄着で 裸足。
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 園への行き帰りは 母の手作りリュックに草履 という出で立ち。
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より良い保育を目指し 母達の話し合いも繰り返され、 気がつけば年長さんの時、私は園の代表にまでなっていた。 「風の子園」で過ごした3年間は まさに母としての原点・・・ そして その後のボランティア活動の土台にもなった。 今振り返れば 子育てって正解はないし 普通の幼稚園に入れたのと 結果的に子供がどう違っていたかは わからないけれど 卒園して15年経つ今でも 連絡網一つで かなりの母が集合する その絆は自慢できる! 熱心で個性的な母が多かった・・・ そんな中 一際 真面目で思いやりに溢れ 見ていない所でも黙々と 面倒な仕事を引き受けてくれる 控え目だけれど芯の強い母がいた。 あの頃の私は、元局アナの経歴を知った人から 地元での司会業など頼まれて 細々と仕事をしながら 基本は子育てに必死だった。 彼女はそんな私に よくこんなことを言ってくれた。 「松坂さんは 子育てに追われながらも お家の中はいつも 綺麗でセンスよくしているし、お料理も上手。 いつかしっかりアナウンサーとして復帰したら その特技を生かして{センスアップ講座}とか開けばいいよ! 絶対そうして!!!・・・」 卒園し小学校の学区が違ったので それ以来会うことは殆どなくなったけれど、 彼女の優しい笑顔とその言葉は 私の脳裏から消えることはなかった。 いやむしろ時を経るごとに 益々その言葉が私を後押ししてくれて、 私は卒園15年を一つの目標に定めた。 アナウンスの仕事にしっかり復帰して センスアップ講座の土台を作る。  そして彼女を第一号の受講者になってもらおうと・・・ 担当する番組も軌道に乗った。 「整理収納アドバイザー」の資格は数年前すでに取得し 先日 「マナー講師」と「ナチュラルダイエットマイスター」の資格が取れた! 彼女に知らせよう!「ここまで来れたのはあなたのお陰だ」と・・・ そんな矢先 彼女の訃報を知らせる 風の子園の連絡網が回ってきたのだ。 2年前、病の宣告を受けたという。最後はご主人が休職して在宅で療養したとか・・・ 今思えば 最後に駅前ですれ違ったのが 丁度発症した頃・・・ 全てを知り 自分で「その時」の迎え方を決然と定め その葬儀は 本当に彼女らしいものだった。 会場には 彼女が大好きだったカーペンターズの歌声が流れ 後ろには 思い出の写真の数々・・・ なんと一番良い場所に、風の子園で過ごした母達の笑顔の集合写真があった!!!
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 棺の蓋がしまったところで司会者が「前方スクリーンをご覧下さい。」と。 御主人が彼女に宛てた手紙 長男が母に宛てた手紙 次男が母に宛てた手紙 そして色が変わり 彼女の遺書・・・ 御主人は 「ほとんど喧嘩をすることもなく空気のような存在だった僕達。 今その空気すら失い、僕は今にも窒息しそうです。」と・・・ うちの次男と同級生だった次男は 「お母さんがこんなに早く逝ってしまうなんて想像すらしていなかった僕は お母さんに酷いことを言って 傷つけてばかりいた。そんな僕をいつでも 優しく受け止めてくれたお母さん。 今でも『只今!』とドアを開けると『おかえり!』と  笑顔で出迎えてくれるような気がする」と・・・ そして彼女の遺書には 「先に逝く私を許してね。本当にありがとう。風の子園は私の原点でした。」と・・・ 彼女の分も 私達は 命の限り 生き生きと生きねば! ありがとう。ありがとう。ありがとう。

 

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